【読み:とうざぶろうひも】
慶応三年 に初代太田藤三郎が、近江逢坂山の関所跡付近に米屋を開き、その妻「しも」が副職として峠を行き交う人たちに、印籠の紐等、組紐の雑貨を置いたのが藤三郎紐の始まりとされています。
二代目藤三郎の妻「うの」も組紐、特に丸台に堪能で、大正に入った頃には、帯締め、羽織紐の需要も増えた為、店は組紐作りに専念するようになりました。
三代目藤三郎は、草木染めの研究をし、藤三郎紐に草木染めを取り入れ、草木染め手組み組紐の技術保持者として、大津市の無形文化財に指定されていました。
現在、四代目太田藤三郎が130年余り続く藤三郎紐の伝統を守っています。