【読み:くみひもおび】
組紐帯は元禄から宝暦の頃まで流行した帯で、名護屋帯ともいいます。文禄元年(1592年)に豊臣秀吉が朝鮮征伐のため、肥前の国の名護屋(現在の佐賀県東松浦郡鎮西町)と朝鮮とを往来した際に伝わって来た技術により作られました。唐組、名護屋打ちとも呼ばれます。丸打ち、平打ちがあり、両端に房をつけ幾重にも廻して蝶結びに結び下げて使用しました。組んだ帯は織物の帯と違い、絹糸の光沢感が大変美しく、しなやかでやわらかいので、締めやすく初心者でも結びやすい帯です。
【読み:くみひもおび】
組紐帯は元禄から宝暦の頃まで流行した帯で、名護屋帯ともいいます。文禄元年(1592年)に豊臣秀吉が朝鮮征伐のため、肥前の国の名護屋(現在の佐賀県東松浦郡鎮西町)と朝鮮とを往来した際に伝わって来た技術により作られました。唐組、名護屋打ちとも呼ばれます。丸打ち、平打ちがあり、両端に房をつけ幾重にも廻して蝶結びに結び下げて使用しました。組んだ帯は織物の帯と違い、絹糸の光沢感が大変美しく、しなやかでやわらかいので、締めやすく初心者でも結びやすい帯です。