【読み:えびちゃしきぶ】
明治30年代の女学生の俗称です。1885年(明治18年)に華族女学校が設立され、教授の下田歌子が考案して生徒にはかせた葡萄茶色の袴が評判となり、これをまねる女学校が増えました。明治30年代に入ってからは、仕立て屋が生地のカシミアを入手するのが困難になるほど広まったので、新聞記者の山岸荷葉が「葡萄茶式部」を女学生の代名詞として用いたことに始まります。
【読み:えびちゃしきぶ】
明治30年代の女学生の俗称です。1885年(明治18年)に華族女学校が設立され、教授の下田歌子が考案して生徒にはかせた葡萄茶色の袴が評判となり、これをまねる女学校が増えました。明治30年代に入ってからは、仕立て屋が生地のカシミアを入手するのが困難になるほど広まったので、新聞記者の山岸荷葉が「葡萄茶式部」を女学生の代名詞として用いたことに始まります。