花嫁衣装の変還とは

【読み:はなよめいしょうのへんかん】

古代、奈良時代の花嫁衣装は唐服といって中国から渡ってきた形の衣裳で、高松塚古墳に見ることのできる、上衣と巻きスカートのセットに、刺し花をいっぱい頭に飾っていたようです。白色の清純さは一番愛されていたので基調になっていたようです。当時は赤・黄・白・緑・黒か紫の5色が尊ばれ、スカートはこの5色を染め分けたものでした。そして薄くて長い領巾をなびかせ、男の魂を呼びこんで、男性を夢中にさせていました。
平安時代の花嫁は暗い中で式をあげていますので、やはり白です。新生活の門出には、絶対に白でなくてはならなかったのです。そして、袿と表着は白、袴は赤でした。男性は直衣か衣冠をつけて式にのぞみ、新床では小袖、下袴も白と決まっていたようです。
室町時代に入ると、初日より二日までは男女とも白色を着るべし、と伊勢流の礼式書に残っているように、貴族階級の婚礼の礼法は立居振舞ばかりでなく、衣裳も細かに定められました。そして、三日目には色直しとして「色のある物を着候」とあり、白から色ものの衣裳に変わるのを色直しと呼び、この色直しのきものは「気に入った」という意味を込めて婿が土産に差し出すのがしきたりでした。
江戸時代も双方ともに白でした。結婚はすべての人倫の大本、そして白は五色の本也といわれ、幸菱の浮き出た地紋の白装束が花嫁衣装の基本です。白い下着、帯、中着、打掛。白はいろいろに染められるから、その家の家風に染まります、という意味もあるといいます。幸菱という柄は、公家、武家がもっともめでたい柄として愛用してきました。表地のほとんどはこの柄で、下着は羽二重と決まっていました。
明治に入りますと、白無垢を着る花嫁は限られた階級の人となり、一般的には、黒縮緬の紋付に裾模様の大振袖が人気を呼んでいます。一枚の振袖で間に合わせる家と、同じ模様の振袖を、黒字、白地、紅色と染め、その三色の振袖を重ねて着る家庭もありました。さらには、白振袖を一日目、紅振袖を二日目、そして最後に黒振袖の振りを留めて、婚家の嫁となりましたということを衣裳で示した家もあったということです。ここから「留袖」が既婚者の礼装となったのではないかともいわれています。
大正、昭和の初期もずっと黒振袖が主体で、戦後に白無垢が再び登場してきました。

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