【読み:にじゅうしせっきところもがえ】
日本でもともと使っていた暦は、太陰太陽暦で月の満ち欠けをめやすとして日常生活を営んでおり、自然のリズムをそのまま生活に取り入れていました。
とくに農耕生活を中心に行ってきた日本では、季節の移り変わりに敏感で、季節を無視した生活はできません。日、月の周期を上手に計算してきたのが太陰太陽暦で、これを今、旧暦とよんでいます。農業は太陽、日常生活は月によるほうが便利でした。またいろいろな行事は、すべてこの太陰太陽暦を基本に考えられており、太陽暦だけにするとどうしても生活感の合わないものが出てきます。しかし月の満ち欠けだけに頼ると、一年で約十一日のくるいがでてきます。そこで太陰太陽暦ではうるう年を設けて修正をしています。
月も太陽もそれだけでは一年が合わないので、もっといい方法をと探してみつけたのが二四節気です。
これは日が等分される春分と秋分、日照時間のもっとも長い夏至、もっとも短い冬至を中心に考えたものです。一ヶ月の前半を「節」、後半を「中」と言い、一年を十二の「節気」と十二の「中気」に分類し、それらに季節を表す名前がつけられています。冬至は一日の日照時間がもっとも短く、昼が一年中でいちばん短く夜が長いです。中国では、陰がきわまって陽になるということで、陰から陽の一陽来復だからここから春がはじまるという考え方があります。一陽来復というお守りを冬至から立春の日までに買い求め、冬至の日、大晦日、そして立春の日に吉方にはり、吉を呼び込みます。
二四節気は次の通りです。
きものの衣替え、食べもの、またはさまざまな家のことを考えるのに非常に都合のよいものです。
立春(二月四日頃)-気温がもっとも低く次第に温かさが増してきます。占易の世界ではこの日を年の始めとします。
雨水(二月一九日頃) -雪や氷がとけ雨が降るようになって暖かくなります。防寒用のコートが重く感じられる頃です。
啓蟄(三月六日頃) -冬眠していた生き物がはいでてきます。防寒用はしまいます。
春分(三月二一日頃)-行動を起こす日です。冬らしい色や柄のもの、厚手の紬などは着なくなります。
清明(四月五日頃) -紬より染めの袷のほうがよく似合う時期です。羽織を脱いでさっぱりとした装いが良いです。
穀雨(四月二〇日頃) -春雨が降って植物が潤います。ちょっと肌寒い日も多い頃です。雨に備えて雨コートや紬織の帯を用意します。
立夏(五月六日頃) -大地に草が萌え木の葉も繁る頃です。袷(あわせ)を脱いで単衣のきものにします。
小満(五月二一日頃)-麦が穂をつけはじめます。厚手の単衣から薄手の単衣にします。帯は紗または絽の袋帯です。
芒種(六月六日頃) -田植えの季節です。ちょっと肌寒い日もありますが、縮や絽縮緬、絽紬などのきものに衣替えします。
夏至(六月二一日頃) -一年で一番日照時間の長い日。梅雨の真っ只中なので、冬よりも昼が短く感じてしまうことが多いようです。
小暑(七月七日頃)-梅雨明けの時期です。この日から暑気に入ります。薄物を着ます。
大暑(七月二三日頃)-一年中で暑さがもっとも厳しいときです。麻や紗のきものを着ます。
立秋(八月八日頃)-秋のはじめですが、まだまだ暑い日が続きます。
処暑(八月二三日頃)-暑さがひと段落し、朝夕は涼しい風が吹き渡わたり、気持ちのよい時期です。
白露(九月八日頃) -麻や紗から絽のきものに、そして絽紬などになっていきます。
秋分(九月二三日頃)-秋の彼岸の中日です。単衣のきものを着ます。袷の用意もはじめます。
寒露(一〇月八日頃)-少しずつ冷気が感じられてきます。袷のきものに手を通しはじめます。
霜降(一〇月二三日頃)-霜の降る季節です。ショールや羽織が欲しくなる頃です。
立冬(一一月七日頃)-まだあまり寒くはありませんが、コートを着てもおかしくない頃です。
小雪(一一月二二日頃)-冬とは言えまだ雪はさほど多くないという意味です。いよいよ防寒の用意をします。
大雪(一二月七日頃)-雨から雪に変わる肌寒い日が続きます。下着も暖かいものがよいです。
冬至(一一月二二日頃)-冬本番。真綿の入ったコートもほしくなる頃です。
小寒(一月五日頃)-「寒の入り」つまり寒さのはじまりという意味です毛皮が活躍するときです。昔は綿入れのきものを着ていました。
大寒(一月二〇日頃)-これから一か月が寒さの極限です。重ね着をして暖をとります。