【読み:つかるこぎん】
青森県津軽地方に伝わる刺繍です。藍染の麻布に白の木綿糸で織り目にそって刺し子を施したもので、作業着に用いられました。 北国津軽では綿の栽培が困難だったこと、また厳しい倹約令があったため、木綿の着用を許されなかった農民の衣服はからむしを素材とした麻布が主なものでした。 麻の粗い布目を埋めて保温するためと、農作業で擦り切れないように補強のため、麻布を重ねて刺したのが綴り刺しと呼ばれる刺し子でした。これを刺しこぎんといい、のちには刺し子した小布を「こぎん」と呼ぶようになりました。
明治に入り、木綿の着用が解禁になると、津軽こぎん刺しも藍色の麻布で白い木綿糸で刺されるようになります。 農村の娘は皆、幼少の頃からこの刺しゅうを習い、15才ともなればひとかどの刺手となり、競って美しいこぎんを刺すことに努めました。 娘達の手によるこぎんは、晴れ着用として嫁入り支度に欠かせないものとなり、明治20年頃には手の込んだこぎん刺し着物が多く作られたといいます。やがて鉄道の開通で物資が豊かになると、麻より暖かく丈夫な木綿の着物が手に入るようになり、手間のかかるこぎんは衰退していきました。 昭和期、柳宗悦らによる民藝運動によって、津軽こぎんが見直され、美しい伝統工芸品として、またこぎん刺しそのものが手芸として普及しました。
津軽こぎんは作られた場所によって、大きく3つに分けられます。 津軽城の西側、現在の西目屋村、相馬村、弘前市フナ沢地区のあたりで作られた「西こぎん」、城の東側にあたる、現在の黒石市、尾上町、平賀町、弘前市石川地区などで作られる「東こぎん」、金木町、木造町、車力村で作られる「三縞こぎん」に大別されます。 「西こぎん」は肩に模様の工夫が見られるのが特徴で、細かくいろいろな模様が入っているため、晴れ着に多く用いられました。「東こぎん」は縞はなく、大柄なものが多く見られます。「三縞こぎん」はその名の通り、太い三筋の縞模様が特徴です。
今ではこぎん刺しでは方眼紙を用いた設計図を使いますが、昔は口伝えや見たものをまねして刺したといいます。模様の種類も数多くあり、「花コ」「石ダタミ」「猫のマナグ」「べこ」「ウロコ」など身近なものをデザインしたものが豊富だそうです。