【読み:よめいりどうぐ】
姫君の嫁入り調度品はどれも立派なものばかりです。姫君誕生となると、その日から優秀な職人を丸がかえして家具調度品の制作がはじまります。家名の高い家のものを作る時は、まったく同じものを二つ制作し、よくできたほうを納めることが多かったようです。二つ作り、一つを日常用に、もう一つを永代に残す場合もありました。御輿入れ道具として一番きれいに保存されているのは千代姫のものです。徳川三代将軍家光の長女千代姫が徳川光友に嫁いだときに持参したもので「初音の調度」の名がつけられ、三年の歳月を費やしてできたものといわれています。書棚、厨子棚、黒棚、貝桶、碁盤、碁笥、長持、御雛道具、その他衣類、箪笥や棚に納められる小道具、鏡などなど蒔絵の素晴らしさは、一度でも見ると魂を奪われてしまうようです。これらは徳川美術館にあります。最近こそ調度品もかなり合理化されましたが、それでも旧家の荷開き、荷送り、タンス飾り、出世飾りなどの花嫁の道具見せはなかなか見ごたえがあります。結納も終わり、結婚式の日取りも決定しますと、道具は運びという儀式が待っています。 福井の道具運びは、婿側は黄色のハチマキをつけて花嫁側の荷出しの手伝い、嫁側は赤いハチマキをして接待します。長持唄の流れる中、荷物をトラックに積み込み、荷物には家紋入りの油単(ゆたん)をかけ、近くに嫁ぐ場合はゆっくりと車を走らせ、その間ずっと長持唄を流します。世話役のおとりもちさんたちは、付け下げのきものを着て働きます。紅白の餅を近所に配り、スルメで接待をします。 その他の地方でもタンス飾りがあります。一生着るのに困らないよう衣裳を作り、子供ができても家具など買い足さないですむように、家具調度品をすべて誂えて飾り、近所の人や友人、知人を迎えてお別れ会をします。これは女性に相続権のなかった時代の財産分与の一つと思われます。どんなに高貴な家に生まれても、嫁いでしまえば女性に相続権はありません。それを親が不憫に思い、小さい時から少しずつ買いためて持たせるわけですが、親の深い愛情が、その道具や衣類に深く刻まれています。家紋を母方の紋にするのもそのためです。荷飾り、タンス飾りは嫁ぐ前の十日から二週間くらい前の大安の日に行われます。 大阪岸和田では、玄関に門幕を張り門も玄関もあけたままにします。結婚式や披露宴に出席できない人たちがお祝を持って駈けつけ、別れを惜しみます。紅白のおまんじゅうに昆布茶をだすのがしきたりです。昆布茶は「よろこぶ」という語呂合わせです。婚礼が終わると。婚家先で「荷開き」をして近所の人たちと交流を深めます。タンスの中を整理し、しきたりにそってつめるのはその地の呉服屋の役目です。タンスに入れる基本は、男物が上段、そして紋付、訪問着、紬、小紋、コート類、小物、下着の順です。一度手を通したものは別箱に入れて紅白のリボンを飾ります。引き出しの中のきものや帯の枚数は奇数にし、偶数の場合は水引を入れて奇数に数えます。 女の子は十六歳くらいから衣裳をそろえはじめるのが一般的で、まず下着類、紬類、小物など、そして染めもの、夏物とそろえ、話が決まってから紋付をつくるのが習慣で、紋は母方の紋、喪服は必ず持ち、白い布でくるんで人の目にふれないよう気配りするそうです。婚家の岐阜にきもの一式、夫になる人にも一式、先祖に数珠、女性たちには白生地を一反ずつ用意するのがこの地方の習わしです。 岐阜では「お部屋見舞」といって、新妻の調度品、衣裳を観賞する儀式があります。夫側の一族の女性たちがそれぞれ自慢の料理を重箱に詰めて持ちより、新妻の部屋でおしゃべりしながら、さりげなく嫁の好みを探り、こちらの家風を自然に教え込むというものです。全員晴着を着て集まりますので、それぞれのきものの着方や好みも勉強になります。 昔は結婚式そのものも女性はよほどのことでなければ出席できなかったので、荷開きという習慣を行うことで女性同士初顔合わせをしていたようです。