【読み:しょせいふうぞく】
明治時代から昭和初期ごろ、学校に通う学生や、他人の家に世話になって、その家の家事を手伝いながら学校に通っていた人たちを「書生」といいます。絣(かすり)のきものに白カナキン(金巾)の兵児(へこ)帯を締め、縦縞の小倉袴(こくらばかま)をはいて、下駄を履いていました。冬には、絣の丈の長い羽織を明治中期以降着ることが多くなりました。このような着物姿は、昭和に入っても金持ちの家の書生の間で多くみられました。
【読み:しょせいふうぞく】
明治時代から昭和初期ごろ、学校に通う学生や、他人の家に世話になって、その家の家事を手伝いながら学校に通っていた人たちを「書生」といいます。絣(かすり)のきものに白カナキン(金巾)の兵児(へこ)帯を締め、縦縞の小倉袴(こくらばかま)をはいて、下駄を履いていました。冬には、絣の丈の長い羽織を明治中期以降着ることが多くなりました。このような着物姿は、昭和に入っても金持ちの家の書生の間で多くみられました。