【読み:しじゅうはっちゃひゃくねずみ】
江戸時代後期、幕府は贅沢禁止法、いわゆる奢侈禁止令(しゃしきんしれい)を発令し、どんな身分であっても、贅沢な着物を着てはいけないとされました。庶民の「着物の色・柄・生地」にまでも細かく規定を設け、着物に関して身につけられる物は、素材は「麻」または」綿」、色は「茶色」「鼠色」「藍色」(納戸色)」のみと限定されてしまいました。
江戸の町人たちは茶色や鼠色といった暗い色のなかに繊細微妙なこだわりを取り入れることにより「四十八茶百鼠」と言われるほどの多様な色を生み出しました。特に茶系統と鼠系統の多彩な色合いとその都度つけられる新しい「色名」が次々と生まれました。
「四十八茶百鼠」とは茶色を48色、灰色を100色くらい使用したことからつけられた呼び方といわれていますが、茶系統、鼠系統とも実際には、100以上の色名があり、四十八や百は色数ではなく多色という意味で、言葉のゴロ遊びで「四十八茶百鼠」と言われたという説もあります。