【読み:らいふく】
日本は、古代においては、中国の「服制」をとり入れ模倣し、これを「らいふく」として、天皇即位や朝賀のような大儀に用いました。天皇、皇太子、親王以下の諸王、諸臣をはじめ、内親王、女王、内命婦(ないみょうぶ)に至るまで、その人の位階によって区別していました。中世に入って、「朝服(ちょうふく)」を「礼服」とするようになってからは、男は束帯、女は女房装束としました。また、武家が政治上の実権を握ってからは、直垂(ひたたれ)を正装とするようになり、近世に入ってからは、侍従以上が直垂、四位が狩衣(かりぎぬ)、大夫が大紋、無位無官の人は、素襖(すおう)と決め、大礼の際は、将軍以下諸大夫以上みな束帯、衣冠としました。一般の武士は、殿中では、熨斗目長裃(のしめながかみしも)を正装としました。女は、秋から春にかけて打掛姿、夏は、茶屋染めの帷子(かたびら)に提げ帯、盛夏には、腰巻きをつけました。明治維新以降は、服装が洋装化し、束帯は、大儀以外は廃されて、大礼服、中礼服、通常礼服という洋服を用いることになりました。