【読み:かんむり】
「こうぶり」の音便で頭にかぶるものの意です。日本の「冠」は、比較的高い身分のものが威儀を正すためにかぶりました。
「冠」は、歴史的に次の三種に区分されます。
①古墳時代の冠。頭の周囲を飾るが頭頂を覆わないものが多いです。
②飛鳥時代以降の唐風の冠。推古天皇11年(603年)、『冠位十二階』の制定に始まります。701年『大宝律令』、718年『養老律令』が発令され、「服制」が確立されてくると、「礼服(らいふく)」、「朝服」、「制服」の公服の分化に伴い、「礼服」に着用する「礼服冠」[=「礼冠」]と「朝服」、「制服」に着用する「頭巾(ときん)」の二つの冠があらわれました。
③唐風が日本化した平安時代以降、「束帯」、「衣冠」、「直衣(のうし)」などのときにかぶったもの。延喜(901~922)ごろに、額当てをつくって、その上に絹を張り、「巾子(こじ)」という円筒形のものができて、これを簪(かんざし)にさし込んで、簪を髻(もとどり)[=髪の毛を頭上で束ねたところ]にさし込み、「冠」を留めるようになりました。
このころの「冠」は、漆を塗ってありましたが、全体として柔らかいほうでした。先のほうが太く、下端が丸くなった「燕尾(えんび)」といわれる「纓(えい)」が、後頭部に密着して垂れていました。
鳥羽天皇が「強装束(こわしょうぞく)」を始められてから、漆塗りがかたくなったので、この「纓」もだんだんかたくなり、二枚の「纓」は重なり、後ろへ張るようになって今日に及んでいます。