芸者風俗とは

【読み:げいしゃふうぞく】

本来は、芸妓を売り物にして酒席にはべる女性の風俗のことです。遊里におこった「廓(くるわ)芸者」と、市中の踊り子に始まる「町芸者」があります。
「廓芸者」は、18世紀初頭ごろ、太鼓女郎から独立し、後ろ帯に島田髷(まげ)、緋縮緬(ひぢりめん)に白衿の襦袢(じゅばん)で芸者であることを示していました。
18世紀半ば、明治(1764~1771)ごろになると、江戸では、深川、両国、日本橋一帯に集まる勇み肌の若者相手に、「町芸者」が発達しましたが、なかでも「深川芸者」は、粋(いき)と侠気(きょうき)を売り物にして、「深川本多」という男髷に羽織を着、男名をつけて素足の爪(つめ)に紅をさすといった粋な「辰巳(たつみ)風」をつくりました。
見習いの少女を京都、大坂では、「舞妓(まいこ)」といいますが、唐人(とうじん)髷に、肩揚げ、赤衿、御引摺(おひきずり)にだらりの帯、高い塗り下駄の「舞妓姿」は、京を象徴する「芸者風俗」といえます。
明治時代に入り、芸者の中心は新橋に移り、呉服店が宣伝に利用して年々の流行のモデルになったりもしましたが、第二次大戦後の洋髪、洋服の導入などで、独特の「芸者風俗」は失われつつあります。

関連するキーワード

タグ「明治」に関連するワード

タグ「芸者」に関連するワード

タグ「風俗」に関連するワード