着袴の儀とは

【読み:ちゃっこのぎ】

「髪置の儀」がすむと、次に袴を身につける行事があります。これは数えの五歳で紋付の羽織袴の正装をします。正式には「着袴の儀」といって、平安時代は皇室、公家の行事でした。室町時代になると武家でも行われ、江戸時代になると資産家の町人たちもこれにならい、とくに江戸では子供の通過儀礼をひっくるめた七五三の行事が一般化しました。三歳は髪置の儀、五歳は着袴の儀、七歳は帯解の儀といわれています。 五歳の祝である着袴の儀はどの地方でも行われている祝事ですが、町の歴史がそのまま反映されているためか、着物の種類がそれぞれの土地で違っています。 東京では黒紋付に仙台平の袴が一般的で、この紋付は通常のきものと同じ丈のものを買い求め、二反できものと羽織をつくります。現在はのし目模様とか、鶴の模様など、わりと派手な色柄が多いのですが、少し前までは黒一色で仕立て、そのあと大人の紋付に仕立て直しました。 金沢では祝着は色無地に五つ紋をつけ、羽織は絵羽柄のものを用いて、大人になったとき羽織を長襦袢に、祝着を羽織に仕立てかえることを考えた衣裳を選びます。 この衣裳は母方の里から贈られてきます。両親そろって氏神様にお参りをし、着付けは親戚の長老の手で行うのが理想的で、東京でも下町は、知人、友人を集め大人数でお祝をし、男の子がいよいよ一人前として社会に認められたことを祝います。御酒を真似ごとのように口につけるのも習わしです。そして男らしく育つことを祈ります。 着袴が男の子だけの祝になったのは鎌倉時代からで、平安時代は女の子も袴(緋袴)をつける儀式がありました。

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