【読み:かねはじめ】
古代からの通過儀礼で、俗にお歯黒と呼ばれているものです。一般に結婚した女性だけが歯を染めていたと思われていますが、実は平安時代には、男も女も十二、三歳になると歯を染めて大人の仲間入りをしていました。もっともこのころは、皇室公家の間だけの風習で、江戸時代に入って武家や民間に拡がりました。室町時代から十一月十五日に行うように儀式化されています。五倍子(ふし)に鉄分を加えた汁で歯を染めるのですが、虫歯ができにくく、非常に丈夫な歯となります。十三歳ぐらいでほとんどの歯が永久歯になっているので、この時期を選んだと思われます。十二運(十二支の神様)を祈る心で、歯を丈夫にして子孫繁栄を願います。そして夫婦そろって健康で、子宝に恵まれた識者に介添を依頼するしきたりがありました。江戸時代には、男の歯染めはすたれ、女性だけのしきたりとなりました。結婚をしたら歯を染めるという習慣は江戸時代も終わりの頃に、民間のみで行われていた風習のようです。現代では考えられないことですが、この時代の人たちは、黒く光る歯をたいへん美しいものとしてとらえていたようです。光の少ない昔の部屋の中では、黒い歯はしっとりとした雰囲気があり、口をほとんどあけないしゃべり方をしていたといわれる当時では、もっとも優雅な口もとに見えたのかもしれません。 明治六年三月三日に、時の皇后がお歯黒をとりやめ、それにならって日本の女性の間でも、鉄漿始の儀は全くなくなりました。