初節句とは

【読み:はつぜっく】

男の子は五月五日に、女の子は三月三日にお祝いするのが一般的です。地方によっては五月五日、三月三日の節句を初節句として祝わないで、五節句のうちの近い日にち、つまり一月七日(人日)、七月七日(七夕)、九月九日(重陽)などにお祝いし、その日の行事にちなんだ祝いの品を贈ります。また初節句以外に「初正月」を祝うところもあり、男の子には破魔矢、弓、コマ、凧、女の子には羽子板、手まりを贈る習慣もあります。招かれた人は当日役立つ、花や果物を持参します。 初節句の衣裳は、男の子も女の子もお宮参りに着た掛着です。お祝いのお返しは柏餅や粽(ちまき)、女の子は菱餅や雛あられで、「内祝」と表書きするのが習わしです。

男の子の節句で有名なのは、遠州浜松の凧揚げです。五月五日の端午の節句に向けての三、四、五の三日間、家業は女たちにまかせ、男たちは腹がけのようなドンブリ姿のまま砂丘で凧揚げに熱中します。町内の男たちの手で凧をつくり、前年の五月六日から一年の間に生まれた男の子を祝うのです。 初節句を迎える子を持つ父親から凧上げ参加の意思表示があると、二帖から八帖の大きさの大凧が製作されます。縦30cm、横33cmの大きさの美濃紙を12枚合わせたもので、二帖は天地1.5m、八帖は天地3.5mとなります。凧づくりには町内それぞれ極秘の製作過程があり、デザインも町内で決めますが、真ん中に大きく江戸文字で町の名前、そして脇に子供の名前が入ります。この凧を男たち30~50人で空高く揚げ、より高く、そして雄大に泳がせる競争をするのです。84町もある町の人たちの手で揚げる凧は大空高く舞い上がり、いまや浜松市だけでなく東海地方の大名物となっています。夜は、浜松の各町内から屋台がくり出され、法被に股引き、ドンブリをつけた男たちが先頭に立ち、父親に抱かれた男の子が、夜遅くまで「オイチョ」「オイチョ」の掛け声とともに手足をふって参加します。まわりが「○○くん」と大きい声で祝いの言葉をかけると、父親は両手をのばして子供を高く掲げ、この祝に感謝の意を表します。 最後の五月五日は、凧の上に父親と子供が乗り、その凧をみんなで担ぎあげて盛り上げ、全員が見守る中、凧を燃やして、初子の健康と幸せを祈ります。 茨城では遠い親戚から贈られる鯉のぼりの数が多く、山の形に糸を張って20匹も30匹も泳がせていますし、伊那谷のほうでは、村が各家の鯉のぼりをまとめて、川の両岸に縄を張って飾っている地方もあります。雄々しく育ってほしいという願いをこめて、武者人形、金太郎、鎧、かぶと、鯉のぼりが母親の里から贈られてくるのが一般的です。強い武将にちなんだ家紋入りの鎧や、武者人形に人気があります。飾り棚をしつらえ、柏餅や粽をつくり、夜はその子を中心に宴を催します。

女の子の節句、三月三日にも初節句を祝います。家庭をきちんと守るようにという意向から、家庭のミニチュア版の雛祭りをします。雛人形には上下の関係とそれぞれの役割が暗示され、家具調度品は本物そっくりにしつらえられ、これからの女の生活を自然に認識させようという配慮を示しています。

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