【読み:かりぎぬ】
「猟衣」、「雁衣」とも書きます。はじめは、「野行幸」とよばれる「鷹狩り」や「蹴鞠(けまり)」などの野外活動に着用していましたが、しだいに、公家男子の日常服になりました。鎌倉時代以降は、公家、武家ともに礼服となりました。
その構成は、「下袴(したのはかま)」、「単(ひとえ)」、「衣(きぬ)」、「狩衣」、「烏帽子(えぼし)」、「浅沓(あさぐつ)」、「帖紙(たとう)」、「夏蝙蝠(かわほり)」、「冬檜扇(ひおうぎ)」で、晴れの儀には、「指貫(さしぬき)」を「切袴(きりばかま)」にした「指袴(さしこ)」に代え、略装には、「衣」を除き、八幅の「指貫」を六幅の「狩衣」にしました。
「狩衣」の形状は、一幅身で前中央を割り、登(のぼり)とよぶ衽(おくみ)をつけ、脇は縫い合わせず、盤領(あげくび)[=まるくび]の端に蜻蛉頭(とんぼがしら)の結びをつけて留め、後ろ身の肩先下がりに一幅半の袖をつけ、袖口には、括緒(くくりお)をつけました。着装は、当帯(あておび)を背に当て、前身は、繰り上げて結びました。
位の低い役人は、単(ひとえ)仕立てで、殿上人は、夏冬とも袷(あわせ)仕立てで、襲色目(かさねいろめ)もとり入れていました。地質は、殿上人は、浮き織物で、一般には、固地綾、顕紋紗(けんもんしゃ)、透(すき)紋紗などが用いられました。