【読み:かみしも】
江戸時代の男子の礼服です。「肩衣(かたぎぬ)」と「袴(はかま)」からなります。糊をきかせた麻の単(ひとえ)仕立てが主です。
元来は、『古事記』に「上下の衣服」とあり、のちに「水干上下(すいかんかみしも)」、「直垂上下(ひたたれかみしも)」というように、広く上衣下衣共裂(ぎれ)のものを称していました。
後世にいう「裃」とは、戦国時代以降、「肩衣袴」が平常服化し、江戸時代に武家礼服として定着したものをさします。その形状は、従来の「肩衣」よりも肩幅が広くなり、前身にひだをとり、肩に鯨のひげを入れて一文字にしたり[=「帆掛け船」という]、カーブをつけたり[=「鴎(かもめ)仕立て」]しました。袴の幅も広くなり、中央に向って細いひだがとられ[=「寄せひだ」]、腰板と腰ひもは元禄のころ分かれて、腰板の上辺は短く両辺の傾斜の強い形となりました。
町人の袴は、襠(まち)の低いもので「町人仕立て」と称しました。生地は、麻の無地が正式で、古くは舶来品の金襴(きんらん)、緞子(どんす)、繻子(しゅす)や、竜紋(りゅうもん)、琥珀(こはく)、桟留(さんとめ)などもあり、宝暦(1751~1763)ごろから小紋が使われはじめ、時代が下るにつれて多くなりました。
長袴を用いる「長裃」は、上位の服装で、通常は、半袴を用い、「半裃」といいました。上下別裂のものを、京、大坂では、「継裃(つぎかみしも)」といい、江戸中期からは、「裏付裃」もでてきました。