【読み:いちょうもん】
銀杏はまっすぐに天に向かって育ち、30mに達する巨木となります。長寿の木で、種を蒔いても孫の代にならないと実らないことから「鴨脚樹」とも書きます。水分を多く含み火災にも強く、炎に焼かれても簡単に枯死しない強い生命力を持っています。銀杏は生きている化石といわれ、その起源は1億5千万年前に至り、多くの種に分かれ世界中に分布したので本当の原産地はわかりません。しかし、氷河期によって現在残る銀杏以外はすべて絶滅し、1科1属1種の貴重な植物として生き残りました。その唯一生き残った土地が中国で、原産地といわれるようになりました。そうした強い生命力と長寿から瑞祥的な意味を持って家紋とされたといいます。また銀杏紋の「イチョウ」は「異朝」に通じ、他国の賓客を迎え入れる喜びを瑞祥としたともいわれています。 銀杏の葉は扇状で、家紋の文様としては非常に手を加えやすいため様々な組み合わせを生み出しました。葉の数では1~16枚まで、形状も「抱き」「対い」「違い」「寄せ」など基本的なバリエーションはほとんど網羅しており、その数は150種を超えています。 公家の飛鳥井家は飛鳥井銀杏と呼ばれる十六銀杏を用います。『羽継原合戦記』には木曽義仲の末流という大石氏、『見聞諸家紋』には千葉氏族西郡氏の三つ銀杏が、『寛政重修諸家譜』には10余氏が載っています。清和源氏頼親流大森氏、土方氏、森氏はいずれも三つ銀杏で、多田源氏頼光流脇田氏は丸に一つ銀杏、伊丹氏、新田氏族の桃井氏、その族の角谷氏は丸に抱き銀杏、佐々木氏族近江氏は五つ銀杏、その族の大熊氏は丸に抱き銀杏、藤原氏族間部氏は丸に三つ銀杏、藤原秀郷流下河辺氏族の水島氏は丸に三つ銀杏、大岡氏は四つ銀杏、熊野氏族の鳥居氏、小芝氏は背合わせ銀杏、島津氏族の町田氏は抱き銀杏、建部氏族の建部氏、佐多氏は六つ~八つ銀杏、田代氏、桓武平氏千葉氏族渋江氏は丸に抱き銀杏、度会氏族の藤本氏は三つ割り銀杏、諏訪氏族の平島氏は丸に違い銀杏、三輪氏、箕輪氏、一瀬氏、笠原氏は丸に重ね銀杏、その他の大塩氏、長谷部氏、坪内氏、大柴氏、蓮田氏などが使用しました。役者では片岡家が五つ銀杏、銀杏丸、中村家が角切銀杏、市川染五郎が三つ銀杏です。また徳川氏が葵紋を使用する前には剣銀杏紋を使用していたといわれ、浄久寺(愛知県豊田市)にある3代信光の墓所や松応寺(愛知県岡崎市)の家康の父広忠の墓所には剣銀杏紋が刻まれています。 多くの諸氏が使用しており全国に平均して分布していた家紋ですが、千葉県を中心とした関東地方、東海地方、兵庫県、山口県、南九州地方などに比較的多く見られます。