【読み:はにわ】
三世紀末~四世紀、わが国に天皇制が確立した時代、天皇の御陵の周囲には素焼きの土器を並べて埋め、土止めを兼ねて聖域としていました。この土物(はに)を埴輪といいます。初期は、単純な円筒形のものでありましたが、五、六世紀ごろには、動物、人物、器物を円筒の上にとりつけた形象埴輪もつくられるようになりました。人物埴輪からは、当時のわが国の男女の服飾の様子を知ることができます。それによると、男子も女子も、中国北方の胡族(こぞく)の影響を受けた上下二部式の被服構成になっていました。
【読み:はにわ】
三世紀末~四世紀、わが国に天皇制が確立した時代、天皇の御陵の周囲には素焼きの土器を並べて埋め、土止めを兼ねて聖域としていました。この土物(はに)を埴輪といいます。初期は、単純な円筒形のものでありましたが、五、六世紀ごろには、動物、人物、器物を円筒の上にとりつけた形象埴輪もつくられるようになりました。人物埴輪からは、当時のわが国の男女の服飾の様子を知ることができます。それによると、男子も女子も、中国北方の胡族(こぞく)の影響を受けた上下二部式の被服構成になっていました。