【読み:きよみずやき】
東山の清水坂・五条坂近辺で焼かれた陶磁器の総称で、宝徳期(1449~52)に音羽屋九郎右衛門が清閑寺(せいかんじ)の近くに開窯した音羽焼が起源であるといわれています。
音羽焼は清閑寺の庇護を受け発展しましたが、慶長(1596~1615)末に阿弥陀ヶ峰の豊国廟に煙がかかるため、命により清水寺近辺へと窯を移転し、その後この辺りには清水・五条・八坂焼なども開窯されました。
粟田焼が高級陶器を中心に生産したのに対して、日常雑器類の生産を主として発展し、文政年間(1818~30)以降、磁器の生産も始めました。陶家としては清水六兵衛、高橋道八家などが挙げられ、粟田焼が衰退して以降、京都で産する陶磁器の代表的な名称となりました。