粟田焼とは

【読み:あわたやき】

京都には諸国と結ばれた七つの街道がありましたが、その街道が京都に入る入り口を「京の七口」と呼びます。その一つ「粟田口」地域で、生産された陶器の総称です。元来は粟田口焼という名称でしたが、窯場が粟田一帯に拡大されたため粟田焼と呼ばれるようになりました。
寛永元年(1624)、三条蹴上今道町に住む瀬戸の陶工、三文字屋九右衛門(さんもじやきゅうえもん)が東山区東山五条付近で産出する遊行土や、左京区岡崎天王町および粟田口付近で産出する岡崎土を用いて銹絵・染付陶器を生産したことが粟田口焼のはじまりです。江戸初期以降、青蓮院(しょうれんいん)の保護のもと発展しました。

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