【読み:はなみ】
桜の花を頭にかざし、花の霊力をからだにいただくというのが、万葉時代の女性たちの間で流行したファッションでした。かざしは後にかんざしという呼び方に変化していきます。桜の花は、冬が終わってすぐ咲く花の中でいちばん美しく華やかで、それでいて散り方が潔いので、女性の心を打つものでした。桜の木は長寿らしく、樹齢二〇〇〇年という木もあります。
豊臣秀吉の「醍醐の花見」は興を尽くした花見として後世まで語り継がれています。各大名がそれぞれに模擬店を開き、塗りの什器や純金の盃を使い、北の政所はじめ側室たちが衣裳競べを行いました。その華やかさは桜の花を圧するほどだったようです。醍醐寺の枝垂れ桜は、「醍醐の花見」の宴を催したときから今に至るまで春になると艶然とその美を誇っています。今でも毎年四月の第二日曜日、太閤花見行列が催されています。太閤や北の政所、淀君らに扮した二〇〇人ほどの人が桜の下を練り歩き、能や狂言を見たり、野点をたてたり優雅な一日を過ごします。
嵯峨天皇が神泉苑で催した花見の宴(八一二年)も記録に残っています。詩を詠じ、、音曲を奏で、夜は庭に火を焚いてその明かりで花を愛でたとあります。この時の衣裳は、表が白、裏が紫かぶどう色の「桜襲ね」でした。
江戸時代の東西衣裳競べも華やかなものでした。豪商の奥方たちが、贅をこらした衣裳をまとって美を競いあう、ファッションショーのはしりです。尾形光琳の描いた小袖を着た西の女性に対して、南天を手描きした衣裳で現われた東の女性、赤い実をよく見るとすべて紅サンゴだったそうです。