【読み:せつぶん】
節分とは「季節を分けること」も意味しており、昔は各季節の始まりの日の前日である立春、立夏、立秋、立冬をさしました。江戸時代以降は立春の前日の節分だけが行事の中で残っています。立春の前日二月三日、氏子たち、特に若い男女が集まってお籠りを行い、火をともし、鬼を追い払う行事があります。これを厄払いとして、厄年の男女が薪を神前に投げ込む行事がいろいろな地方で行われています。このとき晴着を着るのが習わしとなっているところが多いです。
鬼を追い払うために匂いの強いものを門口に置いておくとよいという言い伝えがあり、イワシの頭を火であぶったもの、くさったものを窓辺に置く習わしがあります。また豆を打って鬼を追い払う行事は中国からの伝来で、「福は内、鬼は外」という唱え声は室町時代にはすでに定着していました。この時代は節分の日、邪気を避けるために方違いをしていました。夜だけ居る場所を変え、戸口で豆たたきをして中に入っていたのです。これが庶民の間では、豆を外にまくという行為に変わっています。今は年男が豆をまく役をつとめていますが、昔は天皇や将軍、大名、地主など地位のある人が厄神を払っていましたので大変大がかりでした。また「節分のお化け」という厄払いの方法もあります。思い思いの格好で氏神様に厄の人がお詣りに行く習慣が昔大阪に合ったのですが、近年その風習は水商売の商売用に用いられています。節分の夜は、お化け大会といって男性が女性役、年増が舞妓の衣裳を身につけて商売をします。この日の客はご祝儀をはずまなければなりませんでした。またひいき客が衣装代を全部もつ場合もあります。