【読み:しろもふく】
古くから死者に白い装束を着せるのはしきたりです。これは神代の時代、日本武尊がみまかられたとき、その陵から「しらとり」が飛び立って、天空を舞ったという話に由来するものと思われます。
奈良時代、天武天皇の亡くなったときに、遺体を安置してある殯の宮のまわりに白絹の幕が張りめぐらされ、入口には「かわせみ」を立ててあったという記述がありました。このかわせみの青と、しらとりの白が喪の礼装の基調色となっています。前に彦根のあるお屋敷の土蔵開きで、青装束の裃と女性用の白喪服が出てきたとき、男尊女卑の世の中では、男性が死者の使いであるかわせみの青い色を着たのではないかという説に落ち着きました。なぜなら、古代は白布を藍に染めるほうが大変だったからです。
また中国五行思想では、青は青春です。死は再生ということから青が用いられたのかもしれません。彦根の近くでは、喪主の衣裳として、男性は麻の藍染めの経帷子、女性は白装束となっているところもありました。また死者に青い衣を着せる地方も残っています。
白喪服は亡くなった人の白装束に合わせる意味もありますが、本来、未亡人が着る場合は「再婚はしません」という証をその場の人たちに披露する意味もあったということです。
喪服が黒に変わったのは、日露戦争以後だという説が有力です。明治天皇が崩御されたとき乃木大将夫妻が殉死を遂げました。乃木家の葬儀に列席した世界各国の要人たちの服がみな黒であったことが大きな影響を与えたようです。さらに戦死者が多くなった頃からは、若い軍人の死はあまりにも哀しく、深い嘆きを伝えるのに黒喪服の方が心にそうことにもなったため、黒喪服が一般化したともいわれています。